No.210(2023年4月号)

特  集 ◆ シリーズ清水 2020◆模型の世界首都・静岡

世界に誇る静岡のプラモデル産業

「模型の世界首都・静岡」

なぜ静岡は模型の世界首都なのか。

どうして静岡は模型の世界首都になったのか。

今回のイノセントは静岡が世界に誇る「模型」について

株式会社タミヤの代表取締役社長

兼静岡模型教材協同組合理事長・田宮俊作さんの

言葉を交えて迫ってゆきたいと思います。

世界が認める静岡のプラモデル産業

 みなさんは静岡市の名産品と言えば何が思い浮かぶでしょうか。

 お茶、みかん、桜えび、清水港の水揚げ日本一で知られるようになったマグロを挙げる方もいらっしゃるかと思いますが、「プラモデル」をお忘れではないでしょうか。これこそ静岡市が世界に誇れる産品です。

 株式会社タミヤ、株式会社青島文化教材社、株式会社ハセガワ他プラモデルファンなら思わず声を上げてしまう主要メーカーが本社を置き、株式会社BANDAI SPIRITSは生産工場を市内に構えています。

 今や静岡で生産されるプラモデルの国内シェアは約9割近くを占め、静岡の主要産業として国内のみならず、海外へもその地位を轟かせています。

 では、なぜ、静岡はプラモデル産業が有名になったのでしょうか、そのきっかけは木製模型が始まりでした。

 1932年に株式会社青島文化教材社が動力付きの木製模型飛行機を製造販売を開始したことで木製模型メーカーが静岡に次々に誕生、また木製飛行機が戦時中に学校教材に指定されたことで全国から注目を集めることになったそうです。そして迎えた戦後、模型素材の大転換でいよいよ静岡にプラモデル産業が誕生するのです。

木材からプラスチックへの転換

 「日本はプラモデルにおいては後進国なんですよ。」と田宮社長から意外な言葉が飛び出しました。

 「小学5年生の頃、初めて作った模型は、箱に入っていないモーターを作るものだった。それは素材を組むだけの簡単なものでしたが、モーターが回った時にはものすごく感動したことを覚えています。」とものづくりについて語る田宮社長の目は少年のように輝いていました。

 プラモデルの正式名称は「プラスチックモデルキット」と言い、1930年代にイギリスで生まれ、第2次世界大戦後にアメリカで大人気となり、日本には進駐軍によって持ち込まれたと言われています。1958年に東京のマルサン商店が発売した「原子力潜水艦ノーチラス号」が日本で初めてのプラモデルとされています。

 プラモデル製造の「要」となるのはプラスチックを成形する「金型」です。当時すでに木製模型の一大生産地としてその名が知られていた静岡ですが、金型を製造する会社(工場)は主に東京に集積していたため、プラモデルへの参入には一歩遅れを取ることとなったのです。

 プラスチックモデルの製造にはこれまでの木製模型の製造設備が一切使えないゼロからのスタートとなりました。タミヤでは社員を金型工場へ出向させるなど金型の技術を学び内製化に取り組みましたが、当時のこうした苦労の中で圧倒的な精度を誇る海外のプラモデルに対しこれらを凌駕する「品質世界一」のプラモデルの製造を誓ったこの厳しい時代が「模型の世界首都・静岡」の原点であったと言えるでしょう。

海外販売戦略が導いた模型のまち〝静岡〞

 1950年代イギリスで生まれ、60年代にアメリカで大流行した「スロットレーシング」のモデル製造にタミヤは参入。精密で精度の高い部品を使用したモデルは現地製品に比べ圧倒的に速く(性能が高く)、しかも当時1ドル360円の時代だったことから、安いと評判になるも当時は「メイド・イン・ジャパン」と言うだけで製品が売れない時代だったとの事。これには田宮社長も相当なショックを受けたそうです。気持ちを切り替え、戦車や飛行機、自動車などの実物を細かく取材する活動に専念することに。この結果生み出されたのが実物を忠実に縮小したプラモデル「スケールモデル」で、1967年にタミヤから発売された「1/12スケール ホンダF1」造形は驚くほど細かなディテールまで徹底的に拘ったことで当時のプラモデルファンの度肝を抜いたのでした。一方、東京のメーカーは主にアニメ関連のプラモデルに軸を置いていたことで、生産量や売り上げはアニメの人気に左右されるものでした。

 しかし、静岡のメーカーは先述のタミヤの例のように当時海外では人気が高いが国内では知名度が低かったF1の車両のキット化や、〝飛行機のハセガワ〞と呼ばれるようにスケールモデルにこだわりと同時に、海外へ販売戦略を展開、販路を強化し、流行に左右されない不動のファンをつかんだことで、静岡におけるプラモデル産業の地位を確立してきたのです。まさにこれこそが静岡をプラモデル王国へと押し上げる土台となったと言ってもいいのではないでしょうか。

世界が注目する静岡ホビーショー

今年で61回目の開催を数える「静岡ホビーショー」は国内最大級規模のプラモデルの見本市であり、海外からも毎年熱い視線が注がれます。

 「タミヤだけでは静岡はホビーのまちにならない。他のメーカーと一緒に盛り上げてこそ成し得ることだ。」と田宮社長の言葉を象徴するのが「静岡ホビーショー」です。

 静岡のメーカーは全国に先駆けて「静岡模型教材協同組合」を設立し1959年に現在の静岡ホビーショーの前身となる「第1回生産者見本市」を開催しました。

 振り返るとすでに60年以上も前の話になります。当時の静岡は「コンベンションシティ」を目指し、全国各地から人を集めようと躍起になっていた頃、まさにその役割を担う形での誕生となりました。しかし、その頃は大きなホールがなかったため静岡の料亭、浮月楼を会場に開催、やがて会場を静岡産業館(現在のツインメッセ静岡)に移し、催事名も「静岡ホビーショー」に改名し現在に至ります。恒例となった5月の開催会期中には世界中からバイヤーが詰めかける他、一般公開日には会場が人で埋め尽くされる程、ファンが集結するイベントへと成長しています。