先人の思いを未来へつなぐ
特集 三保松原構成資産登録から10年
変わらぬ景観を後世っも継承する
三保松原を大切にする人たちの思いに託す
今年最初のイノセントは「新春特集・三保松原」です。
昨年、三保松原は名勝指定100年を迎えました。
そして今年は富士山文化遺産登録と共に
構成資産に登録されて10周年を迎えます。
また2月23日は静岡県が条例で制定した「富士山の日」です。
今、改めて三保松原に刻まれている深い歴史と文化を知り、
学び、想いを寄せるにふさわしい年の幕開けです。
2013年、世界文化遺産登録を目指した富士山に対し、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の諮問機関であるイコモスは「三保松原」の構成資産からの除外を勧告してきました。
これに対し地元(市)では官民協力の下、登録に向け熱い想いを発信し続けると共に日本政府も「三保松原」の価値を粘り強く説明する等、懸命の努力を行ったのでした。
そして迎えた同年6月、カンボジアのプノンペンで開催された世界遺産委員会において富士山は見事に世界文化遺産に登録、同時に三保松原も構成資産として認められたのです。当時、このニュースは〝世紀の大逆転登録〞として駆け抜け地元はもとより日本中が歓喜に包まれました。
「富士山を〝文化遺産〞として登録する上で、文化に対し富士山がいかに寄与しているかを証明する必要があり、その手段として構成資産は大変重要であり、三保松原は欠かせない存在であることは間違いありません。」と話すのは郷土史家の渡邊康弘さんです。
渡邊さんは2018年に放送された「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯〝初夢スペシャル〜富士山・三保松原〜〞」でガイドを務めたことで一躍有名になりましたが、登録当時は市役所の職員として世界文化遺産の事案に関わり、登録の経緯や三保松原の価値をよく知るひとりです。
「この登録を機に改めて三保松原の価値を考えることが大切です。」と渡邊さんの言葉に力が入ります。
イコモスは除外勧告に三保松原が富士山から45キロも離れていることを理由に挙げましたが、これを覆すだけの価値がここにあると言うことが重要であり、それが何であるかを理解することが大切です。
そこで、それを伝え人々が価値を共有できる施設が必要だと言うことになり、急遽コンテナハウス3 棟で構成された〝はごろも情報ひろば「みほナビ」〞が開設されました。それと同時に本格的な施設の建設に向け「(仮称)三保松原ビジターセンター基本構想」が策定され、現在の「三保松原文化創造センター」が2 0 1 9 年にオープンする運びとなったのです。(「みほしるべ」は一般公募によって選ばれた愛称)この施設では三保松原について知ること、学ぶことができる他、三保松原における様々な活動の拠点としての機能、さらには松原と人、地域をつなぐ場でもあります。
旧清水市は「〝まちづくり〞と〝価値づくり〞」を行ってきました。まちはもともと価値を持っていますが、それに人はなかなか気付かない。しかし、それに気付くと新しい楽しみが生まれてきます。ここはそう言った〝価値〞を気付かせる役割を担う重要な施設と言えます。
構成資産への登録に伴って観光地でもある三保松原にはその景色を求め観光客がそれまで以上に押し寄せたことから改めて注目されたテーマが「保全」です。
三保松原は開発の歴史と密接な関係であることがひとつの重要なポイントです。江戸時代に描かれた絵などを見ると昔は松が三保半島の先端から駒越までたくさんありましたが、開発が進むにつれ徐々に減少、そこで名勝に指定されたことで観光名所であると同時に文化財となることで、法の力を借りて松の減退を阻止する意味もありました。やがて、1985年頃になると守る事と同時にこの松原をいかに将来に残し、維持するかに目が向けられるようになり保存管理計画が立てられました。ここで「何故そこまでして三保松原を守らなければいけないのか?」と疑問に思う方もいらっしゃると思いますが、左手に松原、右に海(駿河湾)、その奥に富士山がそびえる景色は唯一ここでしか見られない景観であり、中世から変わらず人の手によって受け継がれている景色であること、これが大きな価値のひとつです。
保全について語る上で、枯れ落ちる松葉を例に挙げてみましょう。普通に考えると地面に松葉が貯まることでそれが栄養になって良い事だと思うかも知れませんが、松にとってはこれが逆効果で富栄養化になることで松は弱ってしまいます。そこで枯れ松葉を減らす〝松葉かき〞が必要になるのですが、ガスのない時代は各家庭で枯れ松葉を焚きつけや燃料として使っていたため日々、人々の生活の中で自然と松葉が集められ活用されることで堆積することはなかったのです。しかし時代は変わり松葉を必要としない今の生活においては意識して松葉かきを行う必要があるのです。
つまり、松の健康を保つにはあえて昔の人の知恵に戻る必要があると言うことになり、今それはボランティアと言う形で実践されています。
この例から今できる事を考えると、今まさにこの時点からこれまではどうだったかを振り返り、それを未来へと活かすことが重要であると言えると思います。
続いて開館からこの春で5年目を迎える「静岡市三保松原文化創造センター〝みほしるべ〞」の所長、眞田剛光さんと、同館職員で樹木医の資格を持つ山田祐記子さんにお話を伺いました。
「登録により三保への来訪者は確実に増えています。特に欧米人に目を向けると彼らの目的は単なる観光地めぐりではなく、知的好奇心が刺激されることを好み、それにより旅の満足を得ています。そう言った視点からするとここの価値を上げた登録が「文化遺産」であることは極めて重要なことなのです。」と眞田所長は前職として関わってきた港湾での知識と経験を交えて語ります。
オープン当初は年間60万人を超える来館を数えましたが今はコロナの影響が続いていることでそこまでの数字ではないものの、猛威を振るっていた頃から比べれば来館者数は回復しています。三保松原は文化財としての価値として松を守る場であると同時に観光地であることをないがしろにできない場所でもあります。コロナが収束してくればまた以前のように多くの人が訪れるようになると思いますが、それを見据えた上でオーバーツーリズム対策を講じることが必要と思いますが、そこで注目すべきが〝サスティナブルツーリズム〞だと思います。今、世界中でSDGsが推奨され「持続可能な社会」が注目されているように、ここでは文化の継承と松の保全・再生と併せて観光地としての賑わ
いの創出をいかにミックスしてやって行くかが大切で、これには課題が多く難題とは思いますが、実現できれば素晴らしいことだと思います。
加えて眞田所長は「個人的な意見ですが」と前置きした上で「清水港を見渡せば、古き良き町並みを残す由比、これから人工海浜や海釣り公園が整備される興津、駿河湾フェリーの発着ターミナルの移転が決まっている江尻とその周辺の開発、ミュージアム建設に期待が高まる日の出地区、そして奥湾の未来を左右する折戸湾の開発と言った将来に期待の持てるモノのそれぞれのカタチが見えてくれば、この価値ある三保までが港湾を介して面としてつながることは確実で、そこに新たな価値が創造されることは間違いないと思います。」と話しました。
「古くから続く三保松原ですが松にも寿命があります。寿命を全うして枯れてゆくのは仕方のないことですが、〝マツ材線虫病〞による松枯れで失われる事は食い止めないといけない事です。」とは山田さん。
構成資産になったから松を守るのではなく先人により引き継がれてきた価値ある松原を次世代に残すことは今の私たちの使命です。以前は飛行機やラジコンヘリを使って松枯れ予防の薬剤散布を行ってきましたが、最近ではドローンを活用することでピンポイント且つ、的確に散布することが可能になったことでこれまで以上の効果を実感しています。松原の健康を維持するためには〝間引き〞も必要ですが、それを可哀想と思う人もいます。松原を保全するために必要なことを知ってもらいたいと思います。
現在、三保の松は推定約3万本と言われており、森林管理を行うため松のデータベース管理アプリ「まつしらべ」が作成され、運用されています。また試験的に松を残す実験として圃場も整備しました。と、山田さんは熱く語りました。
今年、富士山世界文化遺産、並びに三保松原の構成資産登録から10年を迎えます。これはあくまでも一つの節目でしかなくこれまで通りにこの地をいかに守って行くかが大事なことです。
そこで「みほしるべ」の大事な役割のひとつは〝伝えること〞だと思います。まだまだ市民の関心が低いと実感しています。ましてや観光客においてはなおさらではないでしょうか。景色だけ見て帰られる方も多くいらっしゃいます。まずは関心を持ってもらう、そして、知識を深掘りしてもらう、結果、特に市民にとっては地元を誇りに思うことになりますし、日本人として三保松原を価値ある財産だと思う人が増えて欲しいと願います。と所長さんにまとめていただきました。
今行われている保全活動を見ると若い方が積極的に参加しているように感じます。インタビューの中で学校教育にも保全活動が少しずつ取り入れられているとも聞きました。
施設で活動の意義を知り、それを理解して育ったボランティアが次の人へそれを伝えていると聞き、守ることの大切さは人から人へ伝えることが一番大事なのではと思いました。
この美しい景色も、変わらずに残そうと思った先人たちによって人から人へ伝えられてきたものではないでしょうか。これからも時代は変わり続け、事情も変化してゆくかと思いますが、大切に想う人の気持ちだけは変わらずに後世へつないでゆきたいと思いました