No.201(2021年10月号)

特  集 ◆ シリーズ清水 2021◆ “清水の底力を発揮しよう”

中部横断自動車道 待ち望んだ〔静岡  山梨間〕 全線開通

久能街道沿いに「道の駅」を早期実現!!

新スタイルの地域棒材と避難地を〔駒越地区 県果樹研究センター跡地に!!〕

全 線 開 通

8月29日に中部横断自動車道(E52)の静岡県~山梨県間の全線が開通いたしました。この道路は東名高速道路(E1A)・新清水ジャンクション(JCT)~中央自動車道(E20)・双葉JCTを結ぶ延長74・3㌔の高速道路で2019年3月に新清水JCT~富沢インターチェンジ(IC)、下部温泉早川IC~双葉JCTまでが開通、続いて11月に富沢IC~南部ICが開通、唯一残された南部IC~下部温泉早川ICの開通が待たれておりましたが、これこそ待望の全線開通となりました。なぜここまでこの道路の開通が切望されたのか、それは静岡県(清水)と山梨県の長く続くつながりの歴史を追って紐解くことで分かると思います。

 

静岡と山梨を歴史でつないだ〝道〟

(静岡)は「甲州往還(駿州往還)」と呼ばれた険しい道で結ばれ、古くから物流に大きな役割を果たしてきました。その昔、甲斐の国から江戸へ向かうには一旦駿河まで歩いて行かなければなりませんでした。また江戸時代には年貢米を江戸へ運ぶために富士川を使い(現在の)山梨県富士川町鰍沢から静岡県富士市岩淵まで高瀬船を使い、そこからさらに陸路で清水港へ荷物を運んでいました。また清水港からは塩を持ち帰ったことからこの物流は「下げ米、上げ塩」と呼ばれおり急流で手強かった富士川を使った〝舟運〟は下りに約半日、上りに4、5日掛かったそうです。やがて明治に入ると物資の多様化が進み、物流は舟運から鉄道へと移り変わったことで路線の都合上往来は静岡から東京へと変わっていったのでした。そして次の転機が昭和30年から40年代の高度成長期に訪れます。日本中が湧いた1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際には開催に合わせ高速道路等のインフラ整備が急速に進むと同時に個人の生活が豊かになったことから〝マイカーブーム〟が巻き起こったことで家族旅行が活発になり、海のない山梨県や長野県の方々が休日を海で過ごすため身近な静岡県へ国道52号を使って訪れるようになったのでした。レジャーだけはなく同時期に国際貿易港として開発の進んだ清水港からは石油等のエネルギーもこの道路を使っての物流が活発になったのです。一方、静岡からもこの道路を利用したレジャーが活発化しました。バブル景気の真っ只中に巻き起こった〝スキーブーム〟の時にはシーズンになるとスキー板を積んだ車が列をなして山梨・長野方面へ向かった光景も記憶に残るところです。また山梨と言えばフルーツ王国としても知られることから、もも狩りやぶどう狩りに出掛けられた方もいらっしゃるかと思います。そんなバブル期の1987年(昭和62年)に中部横断自動車道は高規格道路として閣議決定され整備が開始されることとなりました。それから今日まで34年の月日が流れ、当時から完成を心待ちにしていた人たちにとってはまさに待望の開通と言えたのではないでしょうか。しかし、夢はまだ続きます。本来目指す全線開通は長野県小諸市(佐久小諸JCT)までを結ぶ延長132㌔です。ここからさらに上信越自動車を北上すれば新潟県上越市へ、そして日本海へとつながります。旧清水市(清水区)にとっては1954年(昭和29年)から50年間続いた上越交歓(高田交歓)と1987年に佐久市と友好都市提携を結んだ歴史を振り返るとまだ夢の途中であり、沿線住民の熱い想いを担ったキャッチフレーズに詠われた「君は太平洋を見たか、僕は日本海を見たい」の実現はまだ先の話になりそうです。

溢れる可能性、このチャンスを活かす

中部横断自動車道最大のメリットは「静岡県から山梨県までの移動時間が短縮される」ことでこれは国道52号線を利用するよりも約70分短いとされています。これにより例えば①災害時に国道52号線が通行止めとなった際には代替えルートとしての活用 ②マイカー利用の日帰り観光が容易に ③清水港に寄港する大型客船を利用する外国人観光客の往来増加が見込める ④静岡県と山梨県両県の農・海産物を今まで以上にスピーディー(新鮮なまま)に運搬することが可能に等々、数々の経済効果をもたらす可能性に溢れています。先述の通りさらに整備が進み新東名高速道路・中央自動車道・上信越自動車道がつながれば太平洋と日本海が約4時間で結ばれることとなり、北関東と甲信越、そして静岡を結ぶ重要な交通基盤となることは間違いないと思われます。この開通により静岡市には今まさに大きなチャンスが訪れていると思います。すでに何年も前から開通を見据えて物流や観光展開の準備に力を注いできた企業もあろうかと思いますが、今こそ官・民一体となったシティプロモーションや経済の活性化に動く時ではないかと思います。そこで同じく新しい道路のポテンシャルをいかに活用するかと言う点において清水区駒越地区にスポットをあててみたいと思います。

市内周遊の人流を作り出そう

「150号(久能街道)線沿いに〝道の駅〟が出来れば誘客に大きな効果が期待できると思います。」と話すのは駒越地区連合自治会長の田辺道夫さんです。清水区駒越地区は清水区南部に位置し、南に国道150号線、通称〝久能街道〟が走っています。今から27年前に駒越東町の県道199号線三保駒越東交差点を起点に清水区蛇塚間をつなぐバイパスの整備事業が始まり、2008年(平成20年)に開通、清水バイパスが完成しました。10年前起点近くにオープンしたベイドリーム清水は地元民だけでなく西方面からバイパスを利用して来訪する人々で賑わっている様子を見るとまさに道路整備が人の流れを作ったと感じます。だからこそ今、その逆の東に位置する中部横断自動車道から国道149号線・しみずマリンロード(通称、清水港湾道路)を介して清水バイパスへの人流が期待されるところです。そのためには新しい流れを生み出すための魅力づくりが必要だと思います。例えば、その答えのひとつが「道の駅」だと思います。「道の駅」についてはこれまでも地元自治会などから実現に向けての要望が出されたり、2011年頃には議会に要望が出されました。駒越には「石垣」で名を馳せた「いちご」や枝豆と言った美味しい農産品があります。また近隣の三保や折戸にもメロンやトマト、折戸なすなど人々を引きつけるに相応しい産品が揃います。一般的に地場食を揃えた施設は人気があるように地元の魅力溢れる商品が「道の駅」が加わることで、周辺の魅力ある観光地を巻き込み回遊することが出来ると思います。例を挙げるなら、次郎長さんのお墓がある「梅蔭禅寺」、三保松原(文化創造センター〝みほしるべ〟)、日本平山頂(日本平夢テラス)、国宝「久能山東照宮」、石垣いちご狩り、市立日本平動物園、ふじのくに地球環境史ミュージアム、市立登呂博物館・市立芹沢銈介美術館、そして日本平久能山スマートICへと主要な観光地を有度山を中心として回遊できるような「有度山周遊ルート」としてつなげれば静岡市をまるまる楽しめる観光になると思います。これは1日では回りきれないとなれば宿泊も必要と言うこととなり経済効果もぐっと上がると思います。新しい道路(清水バイパス)に地区の中心を通る要線、県道198号・駒越富士見線(通称、市立病院通り)が接続されたことで大変便利になった一方で、旧150号線の交通量は激減し、そこでいちご狩り園を営む方々にとっては昨今の後継者問題にも拍車をかける苦しい状況になっている事実もあります。このためにも有効な対策と新たな人流には期待はあります。もう一つ、駒越地区にとって大切なのは防災対策です。久能街道の海に面し、開けた景色は気分爽快な眺めであると共に台風などの自然災害やや海抜の低い地域に住宅が集中しているため津波の危険にも晒される場所であるため、特に発生が懸念されている東海地震や南海トラフ地震に対する対策は急務と言えます。駒越地区内には今は使われていない静岡県果樹研究センターの跡地があり、ここを地域防災と避難地の拠点とし地域の人たちの安心の場とすることができればとの思いがあります。大規模災害が発生した際には長期の避難を余儀なくされる可能性も想定されるため、これに対応できる新しい型の防災基地が地域にとって早急に必要な事だと思います。

イノセントから一言

イノセントではこれまでも中部横断自動車道については何度か特集を組んできましたように以前から必要性について触れてきました。しかし、現実となった今、コロナ禍とは言え盛り上がりに欠けていると感じます。本文にもありますように今まさに大きなチャンスが到来、スタートしたばかりです。静岡は今、地域の底力の発揮を試されている時だと思います。山梨県、長野県と一緒にこのチャンスを掴むことに期待したいと思います。