2006年8月に100号を発行してから15年、お陰様で200号の発行を迎えることができました。振り返ると1991年1月の創刊から実に31年目での到達です。これもひとえに毎号ご愛読いただいております読者の皆様、そして発行を支えて下さったスポンサーの皆様、取材にご協力いただいた関係者の方々のお陰と改めて感謝申し上げます。
創刊当時から、地元清水に密着した情報と清水の知っているようで知られていない身近な魅力を発信し続け、年間6回の発行を地道に続け号数を重ねて参りました。
今回は200号達成記念として、101号から199号までの特集を振り返り、清水にとって大切なモノやコト、地域を今一度考え直してみたいと思います。
それでは、これまでクローズアップしてきた清水のトピック特集記事の内容を登場回数で集計したランキング形式で振り返ってみたいと思います。
複数回特集の第6位は「興津地区」でした。
昭和初期までの興津海岸には磯場が広がり、海水浴もできた風光明媚な景勝地でしたが、清水港の発展と共に姿を変え、今は清水港の物流を支える拠点・コンテナターミナルとなりました。今年、清水~山梨間の全線が開通する中部横断自動車道との連携で港湾物流のさらなる飛躍が期待される一方で地元住民の願いはかつて身近にあった海岸の復活です。現在、新興津埠頭に隣接する形で船溜まりと海釣り公園の整備進んでいます。そしてその先には念願の〝人工海浜〟の整備も予定されていることから、まだまだ興津の臨海部の開発は止まらない様子です。
変化を遂げた海とは対照的にここには変わらないものも沢山あります。清流〝興津川〟、長い歴史を刻み続けている「清見寺」、〝最後の元老〟西園寺公望の別荘「坐漁荘」、昭和の雰囲気を今に残す街並みなど。そして、まちを愛するそこに住む人々の気持ちです。NPO法人AYUドリームに代表される活動は興津の未来を照らし続ける〝地域の希望〟だと取材を通して実感しました。
続く第5位は「サッカー」でした。 多くのJリーガーを輩出したことでも知られる清水においてその原点と言えるのが「全国少年少女草サッカー大会」です。全国でも希に見るマンモス大会であり唯一清水でしか開催し得ない運営システムを誇るこれぞまさしくサッカー王国の代名詞と言えます。街が一丸となって支えるこの大会は国内のみならず海外からも子どもたちを迎えることでサッカー技術の向上につながるだけでなく、多くの交流を生み、子どもたちの自立の勉強にもなります。また、旅館を中心に市内全体に経済効果をもたらしてきています。 しかし、サッカー先進国だった清水に追いつけ、追い越せ、とばかりに全国のサッカーのレベルは上がりましたが、今の清水にはかつての勢いが薄れつつあると言う現実も目の当たりにしました。特集では、草サッカー大会の現場を通じ、これまでの栄光と大会の仕組み、取組みを振り返りつつ、清水のサッカーの現状を見つめ、これからの清水のサッカーに情熱を注ぐ 人々の話が印象に残りました。 「サッカーと清水」 は今後も大切なテーマの一つです。
続いて第4位は「清水駅周辺」です。
2003年に完成したJR清水駅の新駅舎と東西自由通路を機に、駅周辺の整備は加速、ここの景色は見違えるものとなりました。また高層マンションが建った時には首都圏からの移住もあったと聞きました。
これら整備と併せ子どもが仕事(職業)を身近に体験できる施設「静岡市こどもクリエイティブタウン〝ま・あ・る〟」がオープン、旧清水市文化センターをリニューアルした「静岡市清水文化センター〝マリナートこれまで以上に人の往来が増たことで〝地元の台所〟として親しまれてきた「清水港魚市場〝河岸の市〟」でも県外からの多くの観光客で賑わうようになりました。
しかし、一方でこれまで清水駅前を支えてきた清水駅前銀座商店街、清水駅前グルメ通り、清水銀座商店街は変化への対応に苦しんでいる状況も浮かび上がりました。そんな中からも清水駅前銀座商店街か「富士山コスプレ世界大会」といった駅前に再び賑わいを取り戻す新しいイベントが生まれたこともお伝えしました。
今後、この地域についてはJR清水駅を核として清水港江尻地区との連携に大きな注目が集まることになると思います。冷凍マグロ水揚げ日本一のネームバリューを活用した食の増進や、駿河湾フェリーのターミナル新設に伴う発着場の移設、防潮堤の整備や揺れる清水庁舎移転問題など、どれをとっても目が離せない地区であること間違いなしです。
さぁ、いよいよベストスリーの発表です。
第3位は「草薙地区と有度山」でした。
今、人口減少が大きな課題となっている清水区において唯一人口が増加しているのが草薙地区です。平野部の市街地と日本武尊の伝説が残る日本平(有度山)はこの地域の発展において切り離せない大事な関係と言えます。
元々の地元住民に加え、高度成長期には新興住宅に人が集まり清水区内でも屈指の人口を誇るに至った草薙地区には、公立の小・中学校を始め静岡県立大学、静岡サレジオ、最近では常葉大学静岡草薙キャンパスができ多くの若者・学生が行き交う街となっています。 この街の転機もJR草薙駅舎のリニューアルでした。2016年9月の新駅舎完成と同時に開通した南北自由通路と併せ北口ロータリーと南口広場(ロータリー)が整備されました。 これにより草薙駅の利便性は格段に向上、南北の往来人流に地元商店街の期待も一気に高まりました。 それと同時に浮上したのが有度山の本格的な活用です。折しも、県と市による日本平山頂のリニューアルが進められている最中と言うこともあり、〝草薙神社〟や県の無形民族文化財に指定されている「草薙大龍勢」等の歴史文化を絡めた新たな山頂へのルートの模索はJR草薙駅から新しい人の流れを作り、古き良きものを活かしつつ文教地区らしく若者がまちづくりに参画する土壌づくりも併せて街の活性化を目指しています。 昨年は静岡草薙清水線(通称、南幹線)沿いに建つ〝草薙神社の大鳥居〟問題でも注目を集めました。結果、大鳥居は撤去され無くなってしまいましたが、今も新しいシンボルの設置に向け議論は絶えません。 静岡市のド真ん中に位置するこの地区の動向に今後も目が離せません。
この15年間で最も大きな話題の一つだったのが「富士山世界文化遺産登録」ではなかったでしょうか。また当時「逆転登録」と言われ全国的にも注目された「三保松原構成資産登録」は清水にとって嬉しい衝撃でした。この〝三保松原〟を有する三保半島についても幾度となく取材を重ね、様々な魅力に迫りました。 天女の伝説を今に伝える「薪能〝羽衣〟」や縁起の良い初夢として伝わる〝一富士、二鷹、三なすび〟のなすびこと「折戸なす」、かつて東洋一の大水族館と詠われた東海大学海洋科学博物館、三保外海・内海海水浴場など話題は豊富で奥も深いものばかりでした。ただ惜しむらくは、今後のこの地区の発展において最も注目されるであろう折戸湾について一度しか取材できなかったことでした。 今、清水区内において最も人口減少が顕著だと言われている三保半島ですが、反面、それを覆せる魅力が詰まっていることも事実です。 この地域の有益な利活用こそ今後の清水の活性化の重要なキーポイントになると信じ今後も特集を組んで行きたいと思います。
そして、堂々の第1位は「清水港」関連の特集でした。ご愛読読者のみなさんには納得の結果だったと思います。 これまで国土交通省清水港湾事務所をはじめ、静岡県清水港管理局、静岡市役所、海上保安庁清水海上保安部、国際水産資源研究所(現、水産資源研究所清水庁舎)、東海大学海洋学部、清水港客船誘致委員会、清水港みなと色彩計画推進協議会、海のみらい静岡友の会などなど、清水港に関わる行政、企業、団体、個人の様々なお立場の方々、色々な視点からお話を伺ってきましたが、その度に次々と話題が浮かんでくるのでした。 この15年間に清水港は開港110周年、120周年も迎えました。そこで改めて歴史を紐解けば、日本書紀の記述に登場して以来、武田氏、徳川家康公の水軍の拠点となった後、明治には開港場(貿易港)に指定されたことから産業の港として繁栄を続け、現在は国から国際拠点港湾の指定を受けると共に、ウォータフロント再開発事業として商業施設がつくられたことを切掛けに憩いと賑わいも創出され多くの客船が寄港するようになり、国土交通大臣より国際旅客船拠点形成港湾にも指定、また「日本三大美港」の一つに数えられるなど、産業と賑わいが共存・調和しています。 客船の寄港は港のみならず周辺地域、また市内全体への経済波及効果が期待されます。今はコロナ禍の状況が解消され、再び客船の寄港が活発になることを祈るばかりです。 さらに、清水港の開港に尽力した山本長五郎こと清水の次郎長さんが生誕百年を迎え、再び脚光を浴びています。この功績をたたえ、清水港にモニュメント(銅像)を設置し記念撮影スポットを作ろうと提案する動きもあるようです。 まだまだ話題の尽きない「清水港」、当誌にとってまさに『永遠のテーマ』として今後も取材を続けて参ります。