今、様々な課題を抱え、低迷が続いている清水区において、最も深刻な問題の一つとして挙げられるのが人口の減少と言えると思います。旧清水市時代においてのピーク時には約25万人の人口が居ましたが、旧静岡市との合併、さらに清水区として由比、蒲原と合併したにも関わらず現在はそれに到底届かない数字となっています。
その原因を考えてみると、清水が産業構造の変化に着いていけなかったことが一つとして
げられると思います。
人口のピークを迎えていた当時の昭和40年代は高度成長の真っ只中にあり、清水では造船業や製材業に代表される産業の工場が多くの従業員を抱え、それに伴い地元商店も大いに賑わっていました。その後、高度成長が終わった昭和50年代は世の中の急速な変化がこれら臨海部の産業に大きな影響をもたらしたことで衰退へ、雇用吸収力は低下し、仕事を失った人々は転出してゆくことになったのでした。またそれに追い打ちをかけるように、ほぼ同時期に大きな話題となったのが東海地震の発生予測でした。これは後に発生した阪神・淡路大震災での市街の惨状や、津波の被害を目の当たりにした東北地震太平洋沖地震によるイメージ、さらには東海地震より大きな被害をもたらすであろうと予測される南海トラフ大地震の発生予測が重なり臨海部に拠点をかまえる企業の撤退や周辺住人の転居の一因となったことは間違いないと言えます。同時に産業を支えてきた、都市銀行や商社の撤退や街全体が賑わいを失ってゆくことになったのです。
では、このような状況になる前に少しでも打つ手は無かったのでしょうか。
当時から現在に至るまで、そして現在も清水港湾部の津波対策である防潮堤の整備は着実に進んでいます。しかし、これにより被害は軽減されますが、全て防ぐことはできず、根本的な解決ではないため不安を完全に取り除くことはできていません。
また、企業誘致の努力も行われていますが、港湾地域の代替えとなる企業や工場が必要とするであろう、ある程度の規模の土地が清水・静岡には少ないのが現状です。例えば、清水区内で唯一人口が増加している草薙地区のような市街地では土地の確保は難しいばかりか、庵原等の内陸部においても企業用の土地となると受け皿にはなりえないため、今後どのような手段を用いて定住人口の増加につなげて行くかが課題となっています。
そこで、定住人口の増加に対し速攻効果とはならないかも知れませんが、切掛けづくりの一つとして期待されているのが交流人口を増やすことです。
例を挙げるとすると「港湾のあるまちづくり」としての〝日の出地区再開発〟がその一つと言えます。港(海が近いということ)があると言うことは企業の撤退理由と矛盾するところでもありますが、清水にとって港湾の存在は重要で静岡市にとっても大切な財産であると共に、港には大きな魅力が溢れています。
清水港は静岡県が管理する県営港です。そのため港の開発には県の協力が不可欠となってきます。 かって清水港における県と市の役割分担はハッキリしており、県は(港)の物流を、市は魅力ある港づくりを行ってきていました。しかし近年は協力体制のもと一体的に〝まちづくり〟に取り組んでいます。
これにより港には豪華客船が頻繁に寄港するようになり、港周辺に立ち並ぶ無骨な建造物には「しみず港色彩計画」のもと統一感を考慮したカラーリングが施され富士山を借景にした美しい景色が形成され、日の出地区には商業施設がオープンし人々の賑わいも創出されました。次いで最近では江尻地区にもスポットが当てられ、JR清水駅に隣接する利便性を活かし駿河湾フェリーの発着ターミナルの移転や冷凍マグロ日本一の魅力を活用した開発や富士山の景色を考慮した防潮堤の建設も始まるとのことで、今後も目が離せません。
さらに港湾部開発の大きな目玉の一つとして現在着々と工事が進んでいるのが興津地区の船溜まりと海釣り公園です。ここには次いで住民念願の人工海浜公園も整備される予定となっており今から大きな期待が寄せられています。
しかし、残念ながら遊びや賑わい、観光では大きな人口増や定住にはなかなか繋がり得ません。 そこで今まさに街を変えるチャンスをもたらすであろうと期待を寄せているものこそ「中部横断自動車道」です。今年度中には一部不通となっている清水JCT(ジャンクション)から山梨県を走る中央道の双葉JCTまでがいよいよ完全開通となります。さらに今後予定されている全線が開通すれば清水から山梨県へ、さらに中央道を介して長野県までつながることで長年キャッチフレーズとして使われてきた「君は太平洋を見たか僕は日本海を見たい」にうたわれているように、新潟・日本海へとつながる大動脈となるのです。
ではこの中部横断自動車道にはどんな可能性が秘められているのでしょうか。
長野県・山梨県・清水間の移動時間が短縮されることで当然、人の往来が活発になることは間違いないでしょう。それぞれに名産品や名所、観光地があり、お互い求め合うことになることに一例を挙げるなら、長野や山梨の方は海(太平洋)に興味があると思いますし、私が区長だった時にこの開通を先取りして開催した〝雪あそび〟のイベントが大好評だったことを考えると清水・静岡にとっては冬のレジャーが身近になることで今以上に需要が高まることでしょう。このように観光面では言わずとも、様々な分野で活発になることが期待できます。
また、経済面で考えると物流の活発化が見込まれると思います。
清水を基点として高速道路へスイッチして、東西の首都圏へ、また、国際貿易港である〝清水港〟を活用して海外輸出へといった流れも考えられます。
例えば、長野や山梨で製造された精密部品を清水へ運び、清水に組立工場を構え、ここで製品に組立てから輸出すると言ったことも考えられると思います。
まさに工場は雇用の創出を生み出すため、人口増につながる可能性でも出てきます。
産業だけではありません、野菜や果物の一大産地である両県にとって輸送時間の短縮は大きなメリットになると思います。
国内物流においても港を行き来する〝RORO船〟(Roll-on Roll-off shipの日本語略称で貨物を積んだトラックやシャーシ(荷台)ごと輸送する船のこと)の活用も高まってくるのではないでしょうか。
一方コロナ禍においてテレワークが加速し、働き方の変化が進む中、その動きは首都圏のみならず地方へも波及することで住み方に変化が生じることも考えられます。例えば、夏期は涼しい長野や山梨で過ごし、冬期は雪の降らない温暖な静岡で暮らそう、とそんな発想も生まれるかも知れません。
つまりテレワークで仕事が出来る人はどこにいても仕事が可能な人と言えることから、まずは観光やレジャーで交流人口を増やし、清水・静岡を体感することで、その中から〝住みたい〟と思ってもらうことで定住へ気持ちが動いてもらうことが大切なのではないかと思います。
このように期待が高まる中、一方でこちらの受け入れ体制はどうなっているのだろうかと考えてみると、それは充分ではない状況と思います。
すでに開通(山梨・清水間)を目前に控え、人の動きがおのずと活発化する事が目に見えているにも関わらずPRに力が入っていないばかりか、受け入れ体制も整っていないと思います。
(コロナ感染症拡大前の状況で言えば)週末や連休時の清水魚市場・河岸の市に目を向けてみると、来場者の車の列が駐車場から港湾道路まで続き、渋滞を引き起こすことがありました。今はコロナの影響でこの状況は落ち着いているかと思いますが、こんな時期だからこそアフターコロナを見据えて、駐車場の拡充や道路の整備など、今後増えるであろう来場者のために、それをいかにスムーズに受け入れるかを検討することが重要と言えるでしょう。
今到来しているチャンスをどう受け止め、いかに活かしモノにするかが今に掛かっていると思います。そこで庵原地区に道の駅の整備が必要と思います。また、長野や山梨の人が海を目的に出掛けると、今は中央道や圏央道を利用すれば意外にも〝湘南〟が近いそうです。これは夢のような話かも知れませんが、彼らを清水に呼ぶには〝三保半島の江ノ島化〟くらいの勢いを持って観光地の開発を進めることが人を引きつける魅力づくりになるのではないかと思っています。
この中部横断自動車道の持つ可能性を活かすために今やるべきことは、〝つなげること〟そして〝つなげて全部を活かす〟ことだと思います。
この道路の実現に向け連携してきた3県の想い、40年にも及ぶあゆみ、そして交流を無駄にすることなく活用し、清水JCTから清水港・清水港日の出地区・日本平・三保半島へと途切れることのない流れを造ることが重要だと思います。
清水は民間の力が強い地域です。そこで行政が主体にならなくても、つながる状況を行政が整えバックアップすることで実現かと思います。かつて清水には「高田交歓(上越交歓)」と言うイベントがあり、多くの学生の交流がありました。まさに、中部横断自動車道の未来を支える原点がここにあったのです。今まさに清水の持つポテンシャルや土台が花開く時が来たことを市民がもう一度思い出して欲しいと思います。
高木さんの話を聞きながら思ったことは、今こそ清水の底力を発揮する時だと言うことでした。
地理的弱点はあるもの、それを上回る魅力や、弱点を克服する工夫も見いだせます。ただ残念なのが、清水の魅力でもある〝のんびり(温厚)な人柄〟ではないかとも思いました。〝誰かがやってくれる〟のを待つのではなく、小さな事でも構いません、市民一人ひとりが一歩を踏み出す、やってみることが大切なのではないでしょうか。念願の中部自動車道の開通です。このチャンスをぜひ活かしたいと思います。