前回の「清水元気発信!(イノセント特別号)」で特集しました「草薙神社大鳥居」の記事にはおかげさまで多くの方から様々な反響をいただきました。言い換えればこの大鳥居の話題を切掛けに草薙地区に注目が集まっていると言えると思います。「鉄は熱いうちに打て」と言うように、今こそ〝まちづくり〟を推進するのに絶好のチャンスが到来していると言えるのではないでしょうか。
草薙地区には〝まちづくり〟を加速させる魅力、財産がたくさんあります。その一つを挙げるなら「有度山」だと思います。
このまちの活性化の起爆剤になり得る可能性を秘めた有度山について、日頃から地域発展に向け熱い想いを待つ方から、今回はお話を伺いました。
夢あふれる〝まちづくり〟の物語にワクワクいたしました。
有度山の頂上周辺は皆さんもご存知の「日本平」です。1950年の毎日新聞社主催の観光地百選において平野の部で第1位に輝いて以来、国の名勝地に指定されるなど観光地として全国に名を知られ一年を通して多くの観光客が訪れる観光名所であり、近年は「日本夜景遺産」に認定されるなど美しい景色は人々を魅了し続けています。
また歴史も古く、草薙側の麓には草薙神社が鎮座し、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の武勇が残る伝説の地です。
有度山の利活用の話に入る前に少し、旧清水市と旧静岡市についての話をしたいと思います。
過去を振り返ってみると、明治以降の日本の発展の一つの要因は〝合併〟にあったと言えると思います。日本中の小さな集落や村が近隣と合併を繰り返し大きな町・街、そして市となって行きました。節目、節目には〝○○の大合併〟と称される時期もあり、合併はまちづくりの転機になってきたものです。
そのような中で静岡市も例外ではありませんでした。
昭和30年代には旧清水市と旧静岡市に合併の話が持ち上がりました。「合併するからには政令市を目指そう」と言う想いで協議がなされましたが、当時は実ることなく結局2003年(平成15年)4月に合併、政令市移行が果たされたのでした。
昭和当時、合併を目指す中で合併後における街の発展において注目されたのが日本平の活用でした。
旧清水市と旧静岡市にまたがる有度山(日本平)は両市が合併することで新市一丸となって活用の方向性を見いだせる地となるからです。ただし諸事情により合併したからと言っても自由に開発ができる地でもないことから、政令市の効果により、ここ全体を市の管理下にすることで一体化した整備が進むものではないかと思ったのでした。
合併は現実となりましたが、有度山の開発は思うように進まず悩ましいことではありますが、ここで利活用に向けた大きな構想を語り合いながら何か現実への足がかりにでもなればと思います。
先述のように日本平は全国的に名の知れた場所であり、そこから望む清水港と駿河湾、そして向こうにそびえる富士山を一望できる景色はまさに絶景のひとことに尽きます。例えばここに著名な文豪、または有名な画家を招致して別荘を建てていただき、作品を書き下ろして(欲を言えば、ここを舞台とした作品を)広く発信することで、この地が注目され有度山・日本平の知名度が一層上がるばかりか、付加価値が生まれ、観光客増にもつながり、地元の関心も高まることになり、地域経済に波及して行くことになると思います。
また景色を活かす観点から言えば、清水港にクルーズ船が寄港した際には、乗客の思い出に残るよう日本平から寄港地と富士山を一望できるビューポイントを設置し、その眺めを楽しんでいだければと思います。
さらに景観の視野を広域にすれば、(旧)静岡市の街並みとユネスコエコパークに登録された南アルプスとのコラボレーションは壮大なパノラマとして静岡市の景色財産となると思います。
有度山(日本平)の開発と利活用は、そこ単体に限らず、周辺地域を巻き込み連動させることでより大きな効果が得られると思います。
清水区駒越から駿河区大谷までの久能街道は大型の台風が襲来するたびに被害をこうむるばかりか海岸浸食も大きな問題となっています。この被害と浸食を食い止めるため現在の海岸線にはたくさんのテトラポッドが設置され、その効果を発揮していますが、青く広がる駿河湾を眺める美しい海岸線の景色にとっては残念な光景であるとも言えます。久能海岸は遊泳には不向きなものの、遠浅な地形が続きます。そこで浸食防止と海岸線の利活用を目指すために海岸から1000メートルないし1500メートル沖に護岸を構築し、駿河区の大崩海岸や由比の地滑りの土を活用することで用地を造成、日本平観光を一体とした開発整備を進めることができると思います。 十分な造成地の確保が可能となれば、久能街道の整備にも弾みがつくことで、久能側からの日本平へのアクセス向上が望めることに加え、駒越付近に〝道の駅〟を造ったらどうだろうか、と提案されている構想の実現にも大きく前進すると思います。
また、空中散歩による景色の良さや、国宝久能山東照宮へのアクセスの良さから評判のロープウェイについても「もっと低地からの発着のルートが欲しい」と言った要望が出る中で、清水区駒越西の静岡県果樹研究センター跡地の利活用の検討もされているようですが、これも一気に解決することになり、新ルート構築へ大きく前進するものと思います。
このように、有度山(日本平)の開発を考えると周辺地域へ波及して行くことは間違いないと思います。
そこでやはり見逃せないのが清水港奥湾です。風、波の影響を受けにくく、普段は平穏な海域の折戸湾はまさに連動すべき地域と言えると思います。
まずは奥湾海域海底の環境改善を行い、安心して海辺と触れ合える環境を実現、富士山と奥湾のコントラストが織りなす景色に映える日本一のヨットハーバーを造り、海洋レクリエーション、海洋スポーツの拠点としての位置づけを確立します。その上で海浜ホテルの開発やマンションを建設することで定住人口増へつながると思います。
さらにこれらの人々の生活の利便性を向上させるために清水市街地と湾岸を結ぶ新交通システムの構築へと夢が膨らみます。
2018年11月に日本平山頂に山頂シンボル施設と展望回廊から成る「日本平夢テラス」が完成しました。
「もう10年も20年も日本平に足を運んだことがないよ。」とおっしゃる方にこそぜひ訪れて歩いて頂きたい施設です。
かつて五本もあったテレビ塔は地上波のデジタル化に伴い一本に集約され展望回廊から間近に仰ぐ姿は圧巻です。また、施設周辺の整備された公園は良く晴れた日の日差しを浴びながらひと息つくにはもってこいの空間です。
これまで日本平と言えば、清水側(海側)を眺める景色が定番でしたが、この展望回廊を一回りすれば静岡側の景色も一望することもできるようになりました。日が落ちれば眼下に広がる市街地の夜景はロマンチックな時間を演出することは間違いなしです。
忘れてはいけないのは「赤い靴母子像」です。「赤い靴はいてた女の子…」の歌詞でお馴染みの唱歌は清水で生まれた(清水区宮加三)実際の物語が基となっています。美しいメロディとは裏腹に歌詞に託された悲しい母子の物語を忘れないように、そして離ればなれになってしまった母と子が故郷を見下ろせるこの地で一緒に過ごせるようにとの想いで造られた像は日本平を象徴するシンボルの一つです。
また有度山には温泉が出る可能性もあります。草薙神社の周辺や、日本平サッカースタジアムの周辺などへ温泉の活用を追求してみることも夢がありそうです。
昔から変わらない景色と、今を見渡す景色がそこにはあります。かつて日本武尊はどんな気持ちでこの景色を見ていたのでしょうか。地元静岡市に住んでいる我々だからこそ今一度訪れてみてはいかがでしょう。
まちづくりの構想の始まりは夢のようなものかも知れません。「バカバカしい夢話だ」と鼻で笑い飛ばす方もいらっしゃるでしょう。もしかすると「これは実現する価値があるかも知れない」と真剣に受け止める方もいらっしゃるかも知れません。受け止め方は人それぞれでいいのではないでしょうか。
今年の始まりには誰も予想していなかったコロナウィルス感染症拡大の影響で日本のみならず、全世界で経済が停滞、低迷する事態が発生しています。
こんな時こそ誰も想像しないような突拍子もない話が希望を与えるのではないでしょうか。誰もが夢だと思った話がいつしか現実になっていることもよくあることです。そんな話を真剣に語ることから始めましょう。